雲南省の民族の結束と発展を可能にした要因とは 

黄建生(フアン・ジャンシェン)/ Huang Jiansheng(中国)

雲南民族大学 教授 / 2007年度ALFPフェロー

グローバル化された状況において、文化は必ずしも“衝突”しない。それぞれの文化が独自の旋律を大切にしつつ、互いにメロディーを共有することは可能だ。今日「文化の衝突」に見えるものの根本的な原因は、実は特定の利益や権力拡大のために文化的、民族的アイデンティティが巧みに操作される社会的、経済的、政治的プロセスにある。ゆえに「文化消費主義」という言葉が指すものは、例えば文化的魅力を拠り所とした観光業の発展のような、収益源としての文化の利用だけではない。文化的、民族的アイデンティティが、経済的、政治的な目的を果たすために、さまざまな社会の力を動員する道具になっている現状も含まれる。その意味では、包括的な社会の構築に必要なのは、価値観や慣習、規範、社会行動、伝統の確立だけではない。さまざまな主体が文化的・民族的集団の成員間における“同一性”を構築(再構築)しつつ、他者との関係性を定義(再定義)する文脈を能動的に形成(再形成)する社会的、経済的、政治的な枠組みやプロセスも不可欠である。つまり、文化的、宗教的要因は必ずしも紛争や“衝突”の主因ではなく、また包括的な社会は適切な経済的、政治的プロセスを通じて実現できる。誰もが平等に社会や経済や政治的活動に参加し、社会サービスや生活資源を享受する権利を持てる適切な社会的メカニズムがあれば、文化の衝突は回避、または、緩和できるのである。

1949年の中国建国前の長い歴史の中では、民族間の紛争、差別、抑圧は珍しいことではなかった。特に雲南省のような辺境の地域では、それが顕著であった。こうした民族間の争いの主な原因は、①土地をめぐる諍い、②過度な税負担、③血縁に関する復讐だった。元王朝(1271~1368年)以降、中央の朝廷は「土司」という官職を設け、辺境の地域の民族の世襲首長を中央権力の代理人として任命し、地方を統治させた。これにより一部の民族(たいていはより強い民族)が朝廷から力を与えられる一方で、弱小な民族は弾圧されたため、結果として民族間の力関係に差が生じることとなった。この時代の民族的アイデンティティは、権力配分において重要な役割を担っていたのである。強大な民族と弱小な民族間の争いは、土地をめぐる諍い、過度の税負担、血縁に関する復讐に端を発したものだったが、それらはしばしば民族的、文化的衝突として表現された。

1950年代はじめに中国全土の人々に民族アイデンティティを問うと、400以上の民族名が返ってきた。しかし、1950~83年に政府が推進した民族識別政策において、「共通の地域、共通の言語、共通の経済生活、共通の心理的要素」1 という基本原則のもと確定した民族の数は、56となっている。最大民族は全人口の92%を占める漢民族で、ほかの55民族は少数民族とされている。この識別に問題がないわけではない。しかし、こうした国による識別は、それに続く「国家の統一と民族間の平等」の原則に基づいた国家の民族政策や戦略、民族区域自治法と相まって、雲南省における民族対立の減少と緩和に大きく貢献してきた。

民族区域自治法のもとでの主な政策や措置には、次のようなものがある。

  1. 「社会主義的民主主義改革」を通じて、すべての民族を国家建設に取り込む。また、すべての民族はその大小にかかわらず、互いに兄弟であることを強調する。漢民族優越主義にも、狭隘な地方民族主義にも、断固として反対する。
  2. 少数民族出身の指導者や才能ある人物、特に少数民族地域で働く人々を激励し、育成する。
  3. 教育、家族計画、雇用など多くの分野における、少数民族へのさまざまな優遇政策を設ける。
  4. 少数民族地域の発展のための特別な支援や補助金の制度を設ける。

これらをはじめとした多くの経済的、政治的な措置、あるいは戦略は、ある側面で民族アイデンティティを強化してきた。例えば中国の法律では、子は両親の民族アイデンティティに基づいて自らの民族アイデンティティを選べるようになっている。片方の親が漢族で、もう片方が少数民族だった場合、ほとんどの親は我が子を少数民族に帰属させようとするだろう。しかしながら、民族アイデンティティの強化が、民族間の対立増加をもたらすことはない。背景として第一に、今日の中国では、全ての土地が国有か、村や地域社会による共同所有となっている。個人や集団は(契約を通じて)土地を利用する権利を有するものの、所有権は有していない。そのため、土地をめぐる民族間の争いが起こることがなくなった。第二に、少数民族は重税を負わされるのではなく、むしろコミュニティや個人の発展に関する優遇政策や補助金の恩恵に浴している。民族自治区では特にそうなのだが、少数民族を名乗ることでより多くの機会に恵まれることがある。第三に、少数民族が補助金や国からの支援を受けられるか否かは、権力や強さではなく、実際の必要性のみによって決まる。とりわけ政府が補助金や支援の対象を集団ではなく貧しい個人や世帯としている場合、民族のアイデンティティは個人のアイデンティティほど重要性をもたなくなる。

開発後のトールン族の村(雲南省 / 筆者撮影)2

民族対立の減少や緩和に向けた中国の措置や戦略は、一部の国際的な学会や海外の政治家の間で物議を醸しているものの、1950年代以降の雲南省における民族間の関係改善に大きく貢献してきた。その最大の成功は、民族の文化やアイデンティティが社会的、経済的、政治的発展にとって不可欠なものと見なされていることにある。

参考文献

  • Barth, F. 1989. “The Analysis of Culture in Complex Societies.” Ethnos 54 (3–4):120–142.
  • Gupta, A., and J. Ferguson. 1992. “Beyond ‘Culture’: Space, Identity, and the Politics of Difference.” Cultural Anthropology 7 (1):6–21
  • Malkki, L. 1992. “National Geographic: The Rooting of Peoples and the Territorialization of National Identity among Scholars and Refugees.” Cultural Anthropology 7 (1):24–44.
  • Nagel, J. 1994. “Constructing Ethnicity: Creating and Recreating Ethnicity Identity and Culture.” Social Problems 41 (1): 152–176.

        

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