言論の場を求める集団闘争

マリア・ハルティニンシ / Maria Hartiningsih 1(インドネシア)

作家 / フリージャーナリスト / 2006年度ALFPフェロー

真の平等とは、人種、性別、信条、民族性、あるいは政治的イデオロギーにかかわらず、全ての人に同じように責任を持たせる
ことである。

モニカ・クローリー


真の平等なくして、実質的民主主義の実現は不可能である。

女性解放と男女平等の実現に向けた運動はおそらく、史上最も長期にわたる、最も意義のある持続的な社会運動であろう。男女間の力の不均衡だけでなく、社会のあらゆる力関係の不均衡の解消を目指すことで、性別二元論の文脈から脱却し、不均衡な力関係が存在する枠組み内で生じている数々の問題とともに、ジェンダーの多様性に対処しようとしている。2

これが、実質的民主主義を推進する闘いの中核になっている。

歴史的にみると、さまざまな国家において理想とされた女性の役割は、決して従属する者のそれではなかった。むしろその正反対である。ジャワ戦争(1825〜30年)の終結まで、貴族階級の女性、特に中部ジャワ州南部の女性たちは、主体的に行動する特権を享受していた。しかしこのような権利は、中部ジャワの貴族の娘で女性解放運動の先駆者ラデン・アジェン・カルティニ(1879〜1904年)と同じ時代に生きた女性たちには認められていなかった。カルティニより前の時代を生きた女性たちは、一般的に専ら男性の領域とみなされている軍事と政治という2つの部門にさえも進出していた。

インドネシアの概況

インドネシアでは1968~98年の独裁的な「新秩序」体制の下、長期開発計画の政策的枠組みに明記されていたように、社会における女性の役割は、母親と、夫の権威に従属してこれを支える妻、という家庭内の役割に限定されていた。

女性の権利に関する議論の広がりという点で、1990年代は非常に重要なターニングポイントとなった。1994年の国際人口開発会議(エジプト・カイロ)、1995年の第4回世界女性会議(中国・北京)と、この時期、女性の権利問題に関する2つの重要な国際会議が開催された。また主要活字メディアも、かつてないほど女性の権利問題に関する記事を掲載するようになっていた。

インドネシアにおける女性問題の重大な分岐点は、1998年5月の暴動だった。暴動発生後、暴徒による中国系インドネシア人女性へのレイプや性的暴行が報道され、世界中の人々に衝撃を与えた。改革の時代の精神に影響を受けた多くの主要メディアが、暴動のさなか、彼女たちがどのような目に遭ったかを明らかにし始めた。ただし、何人かのレイプ被害者は姿を消し、証人の中にも身の安全が脅かされることを案じて真実を語ることを拒否した者がいたため、情報源は公式のものに限られていた。その後、新政府はこの問題に対応するため「女性に対する暴力国家委員会(Komnas Perempuan)」を設置した。それ以降、女性問題は活字メディアで多く取り上げられるようになり、メディアが全国レベルで報道する主要ニュースになった。

2000年代には、地方分権化により地方政府が極めて女性差別的なさまざまな条例を発布できるようになったため、女性に対する暴力は女性の権利推進運動の主要課題となった。2018年11月までに、「女性に対する暴力国家委員会」は、女性だけに適用される外出禁止令やトランスジェンダーの人々が美容室で働くことを禁じる規則を含め、女性差別的な条例を421件以上リストアップした。

レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー(LGBT)の人々に対する暴力行為は、特に近年、インドネシア各地で発生している。1980年にアメリカ人作家アドリエンヌ・リッチは、社会的主体間の唯一絶対的な真実として、社会が異性愛を強要している状況を説明するにあたり、「強制的異性愛」という表現を用いたが、3 インドネシア社会もそうした状況にあるようだ。

こうした風潮から、「異なる者」すなわち非異性愛者を恥とする考え方が生まれた。その結果、「異なる者」は差別的に分類され、その分類がそれらの人々の人間としての価値をさらに下げている。これは特に社会経済的に低い階層出身者に顕著だ。

インドネシアの報道機関は今もなお、異なる性的指向の人々のコミュニティ、すなわち非異性愛コミュニティについてのニュース記事を、ニュースを「売る」ための商品として扱っている。彼らは、トランスジェンダーを追跡する警官やトランスジェンダーの犯罪への関与の例証、またそれらの人々の生涯について全く批判的な観点に立つことなく伝えて、非異性愛コミュニティの「異なる」ライフスタイルを大げさに取り上げようとする。

皮肉なことに、歴史家ピーター・ケアリーは、ジャワの男性と女性が自らのアイデンティティを流動的に変えることができる時代があったことを詳述している。男性は女性の服装を身につけることができたし、一方で女性もジャワ戦争で、国の英雄ディポネゴロ王子の旗印を掲げて兵士として戦った。4

アクマド・サンジャヤディは、植民地時代とその前後の時代の、インドネシア社会におけるセクシャリティーに関するさまざまな話をまとめた。多くの一次および二次資料を用いて年代順に記録したこれらの話は、通常、家庭内においても社会においても許されず、ひた隠しにされている現実を白日の下にさらしている。5

メディアは本当に「第4階級」といえるのか

インドネシアのマスメディアは新秩序体制とその抑圧的な官僚制度の崩壊後、急速に進化してきている。一方で、新たなメディア勢力が新たな規範になった。草の根から生まれた参加型のメディアだ。インドネシア人は世界で最も活発なソーシャルメディアのユーザーである、とロス・タプセルは書いている。6

ソーシャルメディアのおかげで、われわれはニュースを直接拡散できるようになり、女性や子どもに対するさまざまな形の暴力が数々の投稿を通じて明らかになっている。

国民が急速な変化を望む社会改革というものは、われわれの集団的な努力と、女性やその他多くの社会的弱者グループに対する差別や暴力をなくすという皆の決意によって実現されなければならない。しかし、われわれは、社会を構成しているあらゆる人々が、一丸となって現状をより平等で公平なものに改善していく意思があるかを考え、実践的にこの難題に対応しなければならない。確かにマスメディアは、現在われわれの社会で何が起きているかを議論し、それを広める場を提供してくれるが、現状を変えるに足る力は持っていない。

常に変わりゆく世界と、急速に進む技術革新の中で、人々を啓発し、人間の尊厳を高めるという、自由な報道機関の役割は変わってはならない。われわれは皆、互いに補い合うさまざまな役割を持って創造されており、実質的に平等で公正な環境をつくる取り組みにおいて、互いに学び、成長し、発展することが求められているからだ。

力の不均衡ゆえに生じる暴力に関する問題を報道するには、ジャーナリストが明確な理解力と視点を持つことが求められる。またこの取り組みには、フェミニスト活動家や科学者と協力する以外に、正当に認められるべき言論の場を求めて闘う闘志が必要だ。

シンシア・カーター、ジル・ブランストン、スチュアート・アランは、われわれがジェンダーとメディアについて語るときには、当事者意識の変遷、メディアの集中、ジャーナリストとしての仕事におけるフェミニスト研究の重要性、ニュースナレーションの女性化、視聴者の分断など、さまざまな問題が相互に結びついていると語る。7

繰り返すが、マスメディアはいまだに男性優位の世界である。極めて家父長的な性質を持ち、公共圏を占める他のあらゆるものと全く変わらないメディア資本主義に、編集部門であろうと経営部門であろうと、こうした報道機関で意思決定する立場にある人は誰でも完全に飲み込まれてしまう恐れがある。

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※本記事の内容や意見は著者個人の見解です。

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