国籍とはすぐれて人為的なもの——文化的アイデンティティの重層化

李洙任(リー・スーイム)/ Lee Soo im(日本)

龍谷大学経営学部 教授 / 2008年度ALFPフェロー

そもそも日本人とは誰を指すのか。「外国人」と「日本人」の線引きは国籍法に依拠するが、国籍は、ややもすると性別と同様「天与のもの」と考えられがちである。しかし、1985年の国籍法改正によって、日本国籍取得の対象者の枠が拡大されたり、植民地時代の朝鮮人が「帝国臣民」となったことからもわかるように、国籍は天与のものではなく、すぐれて人為的なものであることを私たちは理解する必要がある。1985年以前の日本の国籍法は父系主義が採られていた。すなわち日本人父と外国人母の間に生まれた子供は日本国籍が自動的に付与されたが、外国人父と日本人母の間に生まれた子供には日本国籍が付与されなかった。しかし、日本が女性差別撤廃条約に1980年に署名することになり、そして1985年にそれを批准したことが日本の国籍法にも強い影響を与え、国籍法が男女両系主義に改正されたのである。これは国際法が国内法より優位な効力を発揮した一例となった。

国籍法が改正されても、日本の人口の縮小を食い止める要因にはならなかった。2008年6月20日、自民党の「外国人材交流推進議員連盟」、「日本型移民国家への道プロジェクトチーム」がまとめた報告書が、福田首相(当時)に提出された。今までの閉鎖的な施策の性格を大きく変化させ、移民法や移民庁の設置を提案するなど、縮小しつつある労働力人口を移民によって補填しようとするのがこの提言案の骨子だったが、東日本大震災後この提案は自民党内で議論されなくなった。日本の移民政策は一挙に後退したことになる。50年後、100年後の日本の将来像は労働者不足のため明るい展望が見えない。よって、労働者不足をどのように解決すべきかという課題において抜本的な移民政策は避けて通れない。また誰が日本社会を支えるのか、という問いに対して、日本人の意識変革を求める前に、個々のアイデンティティの基盤にある文化的豊かさ(これは海外のみならず国内の文化も含む)に関心を持ち、appreciate できるような関係作りが大切ではないかと考える。

日本は原則的に重国籍が禁じられている。しかし、国際舞台で活躍する著名人、例えば今日であればテニスプレーヤーの大坂なおみ、野球選手のダルビッシュ有やオコエ瑠偉、陸上競技選手のケンブリッジ飛鳥やウォルシュ・ジュリアン、そしてノーベル賞を授与された電子工学者(青色発光ダイオード研究)の中村修二や小説家のカズオ・イシグロなど、「日本人の快挙」とメディアでは強調されるが、日本国籍を離脱している人もいれば、重国籍の人もいる。欧米諸国では重国籍所持者が多くいるため、「○○人の快挙」と報道するより、米国代表○○選手の快挙とその個人の偉業をたたえる報道をする。まだまだ日本には、個人のアイデンティティより血統に基づくアイデンティティに重きをおく文化的価値観があり、法律や経済、そして政治もその文化価値観に影響を受けやすい。

「外国人」という言葉をなくそう

グローバル化が進展する中で、「移民の社会統合」は移民政策で重要なキーワードになっている。そもそも日本社会で「移民」という言葉が積極的に使われることはなく、「国民」に対比する「外国人」という言葉がいまだ社会で市民権を得ているのが日本の現実である。世界が移民に対して排外的になりつつある昨今、日本において排外的なイメージを放つ「外国人」という言葉は、国民以外の「他者」に向けられているのである。

定住外国人という言葉も誕生している今日、「外国人も日本国民と同じ重要な住民です」という概念で、2012年7月に外国人登録法は廃止された。移民国では新来入国者は定住者、永住者という在留資格を得て、最終的にはその国の国籍取得に至る制度が存在する。例えば、アメリカの場合、就業に制限を設けないGreen Card(永住権)は条件を満たせば約3年で取得でき、約5年から10年滞在し、条件が整えば「市民権」取得が可能となるシステムが整備されている。いわゆる移民にとって一本の線のような生活設計が描ける。そのような社会では、多様な差別が存在するとしても移民を自国民と同様に扱うという価値判断、いわゆる内外人平等主義の原則がある。

文化的アイデンティティの重層化

「移民」に対する排外主義が台頭した今、EUは現在厳しい状況に置かれているが、平和が維持される限り人の往来は自由なほうがいい。パスポートなしでアジア諸国を移動でき、多様な文化に触れる機会がアジア人にも必要とされる時代が来るであろう。日本はアジアにおいて国籍の点でリーダーシップをとり、欧米諸国のように国籍法を血統主義から生地主義に改正すべきであろう。人は誰でも生まれ育った土地を愛し、アイデンティティの形成もそれに強く影響される。移民政策を整備し、日本社会に貢献しようとする人たちに一筋の光が見えるようにするために、国籍法を生地主義に改正する、それが第一歩である。また、等質社会で見えづらかった定住外国人や外国にルーツをもつ人々に光を当てると、実は日本は多文化国家であることがわかる。就職が困難であった在日コリアン(旧植民地出身者で移住労働者として日本に在住する人たちとその末裔)の起業熱は高く、その才能の豊かな者や上昇志向の強い者たちは営利活動によって自己実現を果たそうとする。そして、彼らは営利活動においてマジョリティよりも相対的に卓越性を発揮する場合が多かった。アメリカン・ドリームを求めてアメリカで起業する移民は多いが、実は日本でも外国籍住民による起業率は大変高いのである。

経済誌『フォーブス』で発表される高額納税者のランキングに在日コリアン系起業家の名前が連ねられるようになって久しいが、在日コリアン系起業家は日本の通称名を使用するため、大成功を遂げても「見えない人たち」という存在だった。しかし、2007年に孫正義が「孫」という名前で日本のトップに踊り出たことにより、重層的なアイデンティティを日本社会は否応なしに理解することとなった。これからは肌の色、国籍、民族、地域の差異という属性の枠で人を語ることが難しくなる。文化的アイデンティティはますます重層化され、日本も自ずから変化していくことが予想される。

PDF版

※本記事の内容や意見は著者個人の見解です。

記事一覧に戻る