デモクラシーの民主化
マヘンドラ・ラマ / Mahendra P. Lama(インド)
ジャワハルラル・ネルー大学教授 / 2001年度ALFPフェロー
インド憲法の基本テーマは、伝統的な多文化的慣行と人間的価値の尊重のほか、制度と法的枠組みの構築を基底とするデモクラシーである。これは、多様な人々を力強いデモクラシーの糸に統合し、その統合を保全、促進することを目的としている。この憲法には、周縁化された人々のための法に適った積極的是正措置、国会や州議会や司法などの制度的仕組みが機能するための規範、連邦直轄領政府と州政府間の分権のほか、社会文化的慣行の全面的擁護と促進の道などの基本的諸権利についても、充分な対策が整っている。
インドのデモクラシーは、1975~77年の恐怖と蛮行に席巻された危機の時代を除き、比較的スムーズに進展してきた。選挙は時間通りに行われ、投票率も高い。13億を超す人口を抱えるわが国では、近年、全国で電子投票を行っている。政党は国民の判断を支持し、地域優先主義、カースト間の暴力、性差別、経済的窮乏、地域間格差、人権侵害、汚職のほか、ジャム、カシミール、東北地域の紛争や不安定な状態などに関係した問題が全国的な討論議題の前面に置かれ、長期的見地からこれらの事件や問題を特に監視していくための組織や委員会がつくられた。憲法はこうした問題により効果的に対処するために何度か改正された。何十もの法律案件が整備され、法の効力によって州政府主導で状況是正の努力がなされるようになった。これらの問題に対する市民社会の反応はすさまじいものだった。
しかし、全政党を通じて主要アジェンダである発展という核心的問題に、インドにはどのようなデモクラシーが適しているのかという議論が大きな影を落としてきた。中国が非民主的と広く認識される政治制度の下で、最遠隔地や極貧の人々に発展の恩恵を届かせることに着実な進展を見せているのに、インドの貧困層はかしましいデモクラシーの不協和音の中で基本的ニーズを満たすことができず、いまだに苦しみもがいている。デモクラシーと発展、どちらが先かという議論は果てしなく続いている。
これからの課題
インドのデモクラシーは手ごわい課題に直面している。民主主義制度は国内外から絶えず脅威にさらされてきたが、地方レベル、国レベル、地域レベルではかつては存在しなかった課題もあり、これには新たな介入が必要である。ごくローカルな地方レベルにおいてデモクラシーと発展とコミュニティの参加を結ぶ最も根本的なものは、民主主義をローカルなレベルにまで普及・浸透させるメカニズム(「デリバリー・メカニズム」)である。ところが、今日そのメカニズム全体が大きな混乱とストレスの下にあり、誰に対しても説明不能、何に対しても無責任といった状態になりつつある。現在進行中の改革と自由化プロセスから生じる期待の大きさゆえに、課題は困難さを増す。
経済成長の恩恵を、貧困層にまで確実に届けるにはどうすればよいか。そのためのメカニズムとはどのようなものか。どうやら誰にもわかっていない。国家がよかれと思って行った事業は地方の民衆に届いていない。
ごく最近の例がナレンダ・モディ首相の始めた「Swachh Bharat Yojana」(クリーン・インディア・プロジェクト)である。このプロジェクトだけでも、それが効果的に実行されていれば、インドをグローバルな存在へと変え、教育、健康、発展、インドの若者の考え方に連鎖的効果をもたらしたはずだった。これがひどい失敗に終わったのは、それを実行したのが相も変わらぬ無責任な政府系機関だったからだ。学校、大学、コミュニティ、NGO、文化・社会施設、民間セクターなら、ずっと効果的に実行できていただろう。残念ながら、こうした機関の関与はどこにも見られなかった。
民主主義の「デリバリー・メカニズム」という非常に重要な問題についてはほとんど真剣に語られていない。市場主導の改革による副次的影響と発展に向けた新たな介入の下では、恩恵を届けるための全く新しいシステムあるいは類似の「デリバリー・メカニズム」がいよいよ必要になってきている。
実のところ、貧困層に物資やサービスを提供する上で、官僚組織そのものが主たる障害になっている。説明責任はほとんどなく、漏れも多く、人材育成の要素もない。同時に、貧困削減のための支援策全体において、草の根や抑圧された人々へのエンパワメントのための取り組みはほとんどなされていない。
実行可能な代替手段の一つは、「パンチャーヤト(長老会議)制および都市管理」に関する憲法の修正条項第73号、第74号に従って、効果的な権限分散と委譲を行なうことである。ケラーラ州、トリプラ州、マディヤ・プラデーシュ州のように、草の根の権限強化というこの目的を比較的うまく達成した所もある。
草の根レベルにデモクラシーを導入するとき、二つの課題が立ちはだかる。第一の課題は、国民の権限と参加および人々の能力である。それまで政府組織が行なってきた活動を担うには、主体の能力、制度インフラ、そして一番大事なこととして集団として責任を負うための品位や倫理に大きく依存する。例えば医療センターを運営し、電気水道代を人々に支払わせ、公共資産の共有を決定するには、知識と資質と基礎的な行政的識見がいる。こうしたことを処理する新しい法体制ができた場合はとりわけ必要だ。
もっと深刻な問題は、過去の慣行だったより大きな腐敗構造にすでにはまり込んでいる口うるさく活動的な草の根集団をいかに切り離すかということである。これには、発展と制度運営のあらゆる局面にいる草の根の人々に対し、恒常的な訓練と能力構築を図る必要がある。もしそれができず、実験が失敗した場合、奪われた権限を取り戻そうと大騒ぎするのは官僚や昔日の既得権者である。この逆転行為はまちがいなく高くつき、わが国のデモクラシー強化にとって大きな後退となるだろう。
第二に、目下進行中の権限移譲プロセスには、選挙で選ばれた国会および州議会議員からの、声にはならないが強い反対が満ちている。その一方で、彼らはこういう方策に反対できず、コミュニティレベルの新しい指導者層が生まれれば、自分たちの票田に影響するかもしれないと知りつつも、法制化するしかない。
そのような着実な分権化を進めれば、一つの選挙区内に権力の中心が多数生じるというかつて彼らが直面したことのない事態を招く恐れがある。つまり、議員にとってはマイクロレベルでの個人の説明責任や監視が厳しくなるということだ。また、このことは、どのレベルにせよ議会に行けるかどうかを左右するのは実績であって、カーストや宗教、その他の社会・経済・文化的条件のように広く通用している属性ではないということでもある。厳密な説明責任を確約するほど難しいものはない。こうした不安のせいで、いくつかの州ですでに見られたように、最終的に分権化のプロセスが中断されたり中途半端になったりした。これがデモクラシーの維持にとって決定的要素である「参加」に悪影響を及ぼす結果となる。
従って私たちは、村人の権限強化が、政治家や官僚の権限減少に繋がるという考えを捨てなければならない。このような説明不能で理不尽な発想は変えてゆかなければなるまい。まさにこれが原因で、ダージリンのような地区では、1850年に創設されたインドで最も古い地方自治体であることを誇りながらも、村議会選挙が20年以上保留されてきたのである。だからこそ、デモクラシーがありながら発展を奪われたこの泥沼から抜け出すには、デモクラシーの民主化が、唯一の道なのである。
※本記事の内容や意見は著者個人の見解です。